小野小町

花の色はうつりにけりないたづらに
   わかみ世にふるながめせしまに


決まり字:ハナノ(三字決まリ)
 92番目のリンクで、小野小町登場である。遅すぎた感は否めないが、百人一首の前半のビッグ ネームの登場である。エピソードは多いが、逆に多すぎて書けずにここまで引っ張ってしまったと いうのが本音である。

 百人一首の定家の撰歌意識を考える時、最初と最後の天皇親子二組を はずし、次の歌聖二人(人麿赤人)は、定家 と家隆との対比で考えることになるのでこれまたは ずす。それらを省いた中で、定家の撰歌意識を考えた際に、ポイントになる人物を探ると、小野小 町は確実に前半部のキイパーソンと思われる人物の一人であろう。

 古今集の仮名序に「をののこまちは、いにしへのそとほりひめの流なり。」と書かれている。 「そとほりひめ」は「衣通姫」と書く。衣通姫は、日本書紀によれば応神天皇の孫、古事記に よれば允恭天皇の皇女である。その美しさが衣を通して輝いたといわれるほどの美女であったと 言われている。小野小町の美しさの根拠は、この仮名序でもある。
 そして、深草少将百夜通いに代表されるが、あまたの男を袖にしたという伝承である。美女で なければ男がこんなにも言い寄りには来ないということである。
 佐竹本の三十六歌仙の絵では、小町は後ろ向きに描かれる。絵にも描けない美しさのゆえで ある。
 男をふりまくっていたために、後世、特に江戸時代の川柳などでは「穴無し」伝説が格好の材料 として取り上げられることになる。

 春の長雨が降り続いて花の色はすっかりあせてしまった。私もそれと同じように年をとって容色 もおとろえてしまったことである。

 小町の美しさの伝説が高ければ高いほど、この歌の心情が読む者の心により深く伝わってくるのだ。

 出羽の郡司の娘説、釆女説、小野良実娘説、小野篁の孫説など、 その出自については諸説あるが、時代性を無視している説もあり、決め手には欠けている。 秋田では、元祖秋田美人ということで誇っているようであるが…。
 謎に包まれていた方が、その神秘性も高まってよいかも知れない。定家の時代には、既に伝説上 の歌詠みであったと考えて良い。そして、その様々な伝承のゆえに定家は撰んだのだろう。

 小町伝説の多くは、謡曲になっている。その中に「草子洗小町」というのがある。小町と内裏歌合 で対戦することになった六歌仙の一人大伴黒主。六歌仙とは言うものの「そのさまいやし」と書かれ てしまった一人である。黒主は、小町が相手では勝てないと思い、前日に小町の屋敷に忍び込む。 小町が翌日の歌を吟じたのを聞いた黒主は、万葉集の草子に小町の吟じた歌を書き込む。古歌の 盗作と訴えて勝ちを拾おうという作戦だ。はたして、歌合当日、黒主は用意の作戦を実行する。 しかし、小町は黒主の仕業を見抜き、帝の許可を得てその草子を洗う。すると黒主の書いた歌は 消え、黒主の悪事は露呈する。黒主は恥入り自害しようとするが、小町がそれを歌道に熱心な あまりの誤りだからととどめる。小町の面目躍如という話である。
 この話を見る限りでは、六歌仙でただ一人黒主が百人一首の撰から漏れているのもわからないでは ないと思ってしまうのは私だけではあるまい。
 「通小町」では、小町の亡霊と深草少将の亡霊が登場し、小町の亡霊が仏にすがろうとするのを 深草少将の亡霊が邪魔をするという話になっている。
 ここでは、小町はすでに亡霊なのである。
 さて、そのほか「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒塔婆小町」などでは、かつて才気と美貌を誇った 小町の現在の老醜を対比させる構成になっている。

 すなわち、小町は盛者必衰の象徴なのだ。定家は、それを後鳥羽院の 生涯の栄枯盛衰を重ね合わせたのだろうか、それとも後鳥羽院にそういう仕打ちをした側の盛者必衰 を重ね合わせたのだろうか。

 さらに、小町は亡霊になったのだ。そうした伝説も、撰歌理由だったかもしれない。小野一族 の篁は、夜は冥府の臣を勤めているという伝承を持っている。そして、かつての美貌の小町と老残の 小町、その現世への思いをもった小町の亡霊。定家は、天神 天狗も含めこうしたこの世ならざる者の歌を採り、それを鎮める仕掛け を百人一首の中に仕組んだのではないだろうか。
 それこそが、後鳥羽院の霊を鎮める仕組みになっていたのではないだろうか。


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2008年5月3日  HITOSHI TAKANO