また・後輩への手紙(VI)

Hitoshi Takano   Dec/2015

「どうでもいい」は再考を



前 略 NH君、今年は、松山大会の優勝と大学選手権の大学代表の部の優勝と活躍しましたね。しかし、在学中に名人位挑戦という入学のときに定めた目標のチャンスは、あと2回となりました。夢がかなうよう微力ながら、SFC練習、その他でバックアップしたいと思っています。

 先月になりますか、ツイッターで気になるつぶやきを拝見しました。
 「定位置に絶対なんてないし、相手陣全部取るからどうでもいいや笑」というものです。
 定位置に関していえば、定位置は方便なので、「絶対なんてない」というのはかまいません。しかし、「どうでもいいや」というのは「笑」の一文字で冗談めかしていっているとはいえ、あまり感心できる発言ではありません。
 もちろん、個人の考えを書くことをどうのこうの言っているのではありません。今の慶應かるた会において、経験年数と実績のあるNH君の発言は影響力が大きいがゆえに感心できないということなのです。
 「相手陣全部取るから」というその理由は、攻めかるたの重要性を後輩たちに教える内容として別に問題はありませんが、「笑」の文字があったとしても「どうでもいいや」は、少々なげやりすぎでこの言葉を鵜呑みにしてしまうと、せっかくの自分なりに考えるチャンスを奪ってしまうものになりかねないからです。
 私は、単純化の功罪について指摘したことがありますが、単純化は悪いことではありませんが、うまく使うことが大事です。

 NH君は、A級優勝も遂げて、大学日本一も取りました。名人挑戦の夢を実現するためには乗り越えるべき対戦相手がごろごろいることと思います。
 特に西日本所属時代は、やはり、福井渚会の選手たちが大きな壁になっていたことと思います。東日本所属の今だって、西日本の大会にいけば対戦するでしょうし、場合によっては、東西予選優勝者による挑戦者決定戦の相手がそうである可能性もあるわけです。
 福井渚会といえば、それこそ相手陣を全部取る勢いの攻撃中心のかるた会です。もちろん、最近の斯界の傾向で言えば、多くのかるた選手が攻撃の重要性を説きます。そして、その重要性を説く際の単純化に「敵陣を全部取る」というキーワードが使われることになります。

 さて、それらの選手の理屈と同じ理屈で取っていていいのでしょうか?

 福井渚会は、多くの挑戦者を出しています。しかし、残念ながら(?)、名人の壁を打ち破ってはいません。クイーン戦では、山崎みゆきさんが渡辺令恵さんの牙城を一回くずすことに成功しましたが、、、
 私なりに考えると、渡辺クイーンにしても西郷名人にしても、「相手陣を全部取る」筈の相手にそれをさせていないからではないでしょうか。
 もちろん、両者の攻めは攻めで超一流です。しかし、自陣の取りもうまい。だから、挑戦者はペースに乗り切れずに軍門にくだったのではないでしょうか。
 要するに「とまどい」が生じているのです。挑戦者も一流選手ですから、それは微妙なもので、本人の意識にさえのらないものかもしれません。しかし、いつもの相手と何かが違うということを感じるわけです。
 これが、攻略のヒントだと思うのです。
 「とまどい」を越えてという記事を書いたことがありますが、とまどいを越えないと名人・クイーンの牙城は崩せないし、壁となっている福井の選手に勝つためにはこの逆パターン、すなわち「とまどいを与えて」をしなければならないのではないでしょうか。

 孫子の兵法に「およそ戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ」というのがあります。
 「相手陣を全部取る」精神が「正を以て合い」だとすれば、「相手が攻めてきても取れないような守り」をところどころにみせるのは「奇を以て」ではないでしょうか。

 これは仮説ですが、西郷名人も渡辺クイーンも、小学生のころから競技かるたに親しんでいることに遠因があるのではないかと思っています。小学生のころは身長が伸び切っていないので、敵陣まで充分に手が届かないこともあり、攻めを意識しても体格的に難しく、自陣で札を取る技術が自然に身についているのではないかということです。のちに攻めを身につけていったとしても、この自陣を取る技術がしっかり身についているので、相手の攻めをゆるさない守りの取りができるのではないでしょうか。
 しかし、小学生の身長が伸びきっていない頃から、競技かるたにいそしんでいるのは福井渚会も一緒ではないかと考える方もいるかと思います。これも実情を知らない私の仮説にすぎませんが、福井では競技かるたをする子供の数も多く、指導体制がゆきとどいており、子供として会で練習に加わったときから、「攻め」のスタイルを指導され、同じ条件の子供同士の練習が多いと、もう最初から「攻め」が始まり、「守り」の技術を自然に身につけるという過程がないのではないかということです。

 私は、指導者もなく放っておけば、初心者は自然に守りかるたになるという仮説を以前にも書きました。この自然に身につけた技術というのは、あとから訓練によって身につけた技術を時として凌駕するところがあるように思っています。

 大学生の初心者だと、ひょっとしたら攻めも守りもどちらも訓練によって身につけなければならない年齢にあるかもしれませんが、定位置をとおして、自陣の取りを考える機会があるならば、それはその機会に充分に考えさせてあげたほうがいいように思います。そして、自分自身も「相手陣を全部取る」に加えて「相手にこちらの陣を全部とらせない」という観点を深めて考えてみてはいかがでしょうか。

 NH君、ここまで書けば、私の言いたいことが見えてきたと思います。
 後輩への指導の面とNH君自身の対攻撃型選手への対応策の一端とを読み取っていただければ幸いです。

 では、また、練習場でお会いしましょう。
草 々


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