"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

番外編-「最終回」

〜百分の一〜

Hitoshi Takano Sep/2020


 私的かるた論の番外編も50回を迎えた。本編と合わせて100回となったので、番外編の最終回としたい。 また、「私的かるた論」の最終回ともしたい。 一応の区切りとし、万一今後、この手のネタを書きたくなった場合は、TOPICのほうに書いていこうと考えている。

 今まで、最終回は私的かるた論(本編)TOPIC(本編)で迎えている。
 その時の記述に準拠して、今回も最終回のネタとしたいと思う。

 まずは、私的かるた論(番外編)の50回に於けるシリーズものを振り返ってみよう。

 5回…苦手意識の罠
 3回…指導の方法論
 2回…質問に答える  (1回目は手紙シリーズに掲載)
 2回…大学かるた会論

 このほか、TOPICなどの記事のインデックスページが3つある。本編のシリーズが7シリーズあったのに対し3シリーズの減で4シリーズにとどまった。 また、回数でも合計12回と本編より20回減っている。形式上の単独ネタは、38回となった。
 本編は4年2か月で50回となったが、番外編8年8か月で50回となった。倍以上の年数がかかったことになる。

 もう一方のTOPICの最終回では、タイトルの決まり字調べをやっているので、それも、例にならっておこう。

決まり字50音別(タイトル)


 本編と番外編あわせて100回分のタイトルで決まり字を調べてみた。
 通常の百人一首とは違い、濁音、半濁音があるので勝手が違う。

<ア行>
 ア:1、イ:2、ウ:1、オ:3
<カ行>
 カ:5、キ:7、ケ:1
 ゴ:1
<サ行>
 サ:3、シ:10、ス:7、セ:1、ソ:2
 ザ:1、ジ:6、ゾ:1
<タ行>
 タ:3、チ:3、ト:1
 ダ:3、デ:1、ド:1
<ナ行>
 ナ:1、二:5、ノ:1
<ハ行>
 ハ:1、ヒ:2、フ:4、へ:1
 バ:2、ブ:3
<マ行>
 マ:1、ミ:2、ム:1、メ:1、モ:1
<ヤ行>
 ヤ:1、ヨ:1
<ラ行>
 レ:1
<ワ行>
 ワ:7

決まり字字数(タイトル)


<1字決まり>(21枚)
 ア、ウ、ケ、セ、ト、ナ、ノ、ハ、へ、マ、ム、メ、モ、ヤ、ヨ、レ
 ゴ、ザ、ゾ、デ、ド
<2字決まり>(26枚)
 オウ、オキ、オテ、カク、サイ、シテ、タメ、タフ、タイ、チハ、チイ、チュ、ヒダ、ヒト、フィ、フウ、ミギ、ミフ、ワフ
 ジブ、ジャ、ジョ、ダン、バン、バラ、ブレ
<3字決まり>(10枚)
 イチイ、イチヒ、シンタ、シンジ、ショウ、ショク、ソウキ、ソウケ、フダチ、フダワ
<4字決まり>(1枚)
 カルタハ
<5字決まり>(6枚)
 ワタシノス、ブンポウノ、ブンポウロ、ジセンキ(イ、ニ、サ)
<8字決まり>(6枚)
 キョウギカルタ(セ、ニ、ノ、ロ)、サウスポーロン(イ、ニ)
<9字決まり>(3枚)
 キョウギノシテン(イ、ニ、サ)
<10字決まり>(14枚)
 シツモンニコタエル(ニ、サ)、スウジガカタルコト(イ、ニ、サ、ヨ、ゴ、ロ、ナ)、ニガテイシキノワナ(イ、ニ、サ、ヨ、ゴ)
<11字決まり>(6枚)
 カルタノホンシツロン(イ、ニ、サ)、シドウノホウホウロン(イ、ニ、サ)
<12字決まり>(2枚)
 ダイガクカルタカイロン(イ、ニ)
<22字決まり>(5枚)
 ワタシノカルタニエイキョウヲアタエタコトバ(イ、ニ、サ、ヨ、ゴ)

 別にこれでかるたの札を作って、かるた取りをするわけでもないが、ついつい100という切り数字のものがあると、 こういうことをしてしまうのは「競技かるた選手の性(サガ)」かもしれない。

100分の1


 さて、サブタイトルの「百分の一」(ここの小見出しはあえて算用数字にさせてもらった)に関連した話題を最後に記しておこう。
 2011年11月の本編の最終回において、「札一枚」ということを書いた。
 「札一枚にどれだけの付加価値を与えるかということが、競技者の技芸・能力である。」という考え方に変化はない。
 「100分の1」と今回書いたのは、百人一首の100枚の中の1枚という意味での「札一枚」ということで、改めて書かせていただいた。 「札一枚」を試合展開の中のその場・その時の「一枚」でとらえがちになりそうなので、「100分の1」と表現すれば、 試合全体の流れの中で、その「札一枚」を考えるという観点を持ってもらえるだろうということである。 なにも出札に限った話ではない。カラ札であっても、その時にどう反応したか、しなかったかでも、相手に対して影響を与える効果があれば、それも付加価値をつけた行為と考えてよいのだ。
 そして、先月の本稿の最後には「競技かるたの理論は"自由"である」ことを書いた。 この一枚の札への付加価値のつけ方の発想は、「自由」なのである。
 私は、この「自由」であることを、うまく表しているのが、藤原定家の「用捨在心」という言葉にあると思う。(TOPIC-"1999年9月号"を参照
 「用捨在心」については、「かるたの要諦」の第10条にも書かせてもらっているので、そちらも参照いただきたい。
 自由であること、すなわち自分の心の決めたままに、札一枚に付加価値をつける理論を考え、実践する。これこそ「用捨在心」ではないだろうか。

 100回に及ぶ「私的かるた論」の中の1回ということで、この記事も「100分の1」ではあるが、これをもって、「私的かるた論」の一応の「結び」とさせていただく。
 足掛け14年にわたってのご愛読に感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。



本文中の競技かるたに関する用語・用字において、一般社団法人全日本かるた協会で通常使用する表記と異なる表記がありますが、ご了承ください。


Auther

高野 仁


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