私的“かるた”論

〜最終回〜

Hitoshi Takano Nov/2011

 "競技かるた"に関する私的「かるた」論も、第50回をむかえた。
 "TOPIC"のシリーズは100回を区切りにしたが、この「私的"かるた"論」は、 その半分の50回をもって最終回としたい。4年と2か月にわたった。
 50回の中でも、シリーズ化したもの、複数回にわたったものもある。以下に それを見てみよう。

 9回…音別の話
 7回…数字が語ること
 5回…私の“かるた”に影響を与えた言葉
 3回…競技の視点
 3回…かるたの本質論
 3回…自戦記
 2回…サウスポー論

 この複数回にわたったものだけでも、32回におよぶ。ということで、単独ネタは 18回となるが、シリーズではないが「上段論」(第1回)、「中段論」(第20回)、 「左下段論」(第30回)、「右下段論」(第40回)と節目の回に掲載した札を 置く場所による考え方を紹介したものも、ある意味では同じカテゴリーにまとめられる ものであるかと思う。

 自由に自分の感性で書きたいと思っていたが、自分が最初に考えていたほど自由には 書けなかった。やはり、誰かに読まれているという意識が働いたことにもよる。
 実際、段位論などでは、間違えのご指摘をいただいたし、異なる考え方についての 意見もいただいた。

 さて、最後に「競技かるた」に携わっている読者の方に伝えたいことがある。
 それは、ぜひ、みなさんが、日頃考えている自分なりの「かるた論」を書いてみて いただきたいということである。
 公表するしないは各人の自由であるが、書くことで、自分自身の考えをまとめる ことができるし、表現できないもどかしさを感じることができるし、自分自身の"かるた" を見つめ直すことに通じるからである。
 あくまでひとつの方法であるが、、、
 そして、人に読んでもらい、意見をもらい、人の"かるた"論を読んで、自分の意見と 比較してみることができれば、さらに斯界の発展につながるのではないかと思う。
 慶應かるた会には、「まわしぶみ」という会員が自由にかけるノートがあり、その 中には、"かるた"について書く記事もある。また、毎年、現役が作成する「会報」の 中にも、"かるた"についての文章がある。
 これにより、文章化と人の意見との比較ということをささやかながら実践している ことは、慶應かるた会のよき伝統として続けていってほしいと望むものである。

 私自身、"歌留多攷格"を書いたときと、やはり自分自身の考え方に変わってきたとこ ろがあるなということも感じた。
 こうしたものを書き続けることは、自分自身の記録としても役立つように思う

 今も思うことは、競技かるたにおける「札一枚」ということである。端的にいうと持ち札25枚を相手より先に0枚にするという行為において、減らす札一枚は、数としては、やはり一枚にすぎないのである。しかし、その一枚にどれだけの付加価値を与えることができるかが、競技者としての技芸・能力なのだということである。
 敵陣を取れば、自陣から札を敵に送ることができるということで付加価値が生じるし、敵が狙っている自陣を守ることができれば、敵が狙っていたにも関わらず取れなかったと思えば、それは、競技の中の対戦者の気持ちの持ち方へ影響を与えたということで付加価値のついた取りということが言えるだろう。このように札一枚につく付加価値の集積が競技を通して蓄積していって、試合の流れができていくのである。「札一枚」の持つ意味は、今後も追及していきたいと思っている。

 しばらくは充電期間としたいが、また、機会をもうけて、いろいろな文章をこのサイト にのせていきたいと考えている。最後に一言。

 「長きにわたり、本シリーズにおつきあいいただき、ありがとうございました。」

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