周防内侍

春の夜の夢ばかりなる手枕に
   かひなく立たむ名こそ惜しけれ


決まり字:ハルノ(三字決まリ)
 この歌で97リンクめとなった。残り3首である。ここまで、この歌が残っていたのは私の中 では、意外の感がある。実は、ラストの3首は、100首全部にリンクをはろうと考えた際に、割 と始めの頃に考えていた歌であった。百首めの「もも」はリンクも 100番目にしようと考えていた。ラス前の99番目は、実際の百人一首では 「ひとも」であるが、リンクのほうではその友札である 「 ひとは」を99番目に考えた。それは、「ひと」の友札だからと いうことではなく、古今集の撰者で仮名序を記したとされる「紀貫之」だからである。 仮名序も当初から取り上げる予定でいたのである。そして、リンク98番目は百人一首98番目 の「かぜそ」を考えた。すでに何回か書いたが、冒頭二首とラスト 二首の天皇親子の対比、その次の三・四首目のいにしえの歌の聖「人麻呂」 ・「赤人」と97番目・98番目の対比が百人一首にはある。そして 97番目は百人一首の選者である定家であり、98番目が家隆なので ある。私は、この家隆の順番を自分なりに感じてみたかったから家隆を98リンクめに決めたのだ。 これらのラスト3首に比べると97番目は、実は、ただ単にいろいろリンクを適当にはっていたら、 この順番になるまで残ってしまったというだけなのだ。
 しかし、書くことは、何番目であっても変わらない。マイペースで淡々と書くだけである。

 作者は、周防守平棟仲の娘とも宗仲の娘とも言う。継仲の娘とも言う説もある。いずれにしても周防守の 娘だから、周防内侍である。

 この歌も、清少納言と大納言藤原行成、小式部内侍権中納言藤原定頼のパターンと同じで、男からのからかいに当意即妙に 女が歌を返すということで誕生した歌である。男のからかいがなければ、このような歌はできなかった わけだから、男のばかばかしいからかいも少しは和歌の発展に役立っているのかもしれない。

 周防内侍をからかったのは大納言忠家である。千載集の詞書によると、如月の月の夜に二条院で 多くの人が物語などをしている中で、周防内侍が「枕ないかしら」とつぶやいたのを忠家が聞きつけて、 「これを枕に」と自分の腕を御簾のなかに差し入れたということであった。
 そこで、周防内侍が歌で返した。それがこの歌である。

 「春の夜の夢のような短い間の手枕のために立つ甲斐などないあなたとの浮き名が立つのは口惜しゅう ことでございます。」

 「かひなく」には「腕(かいな)」と「甲斐なく」が掛詞として使われている。

 大納言忠家は藤原忠家、
「よのなかよ」の俊成の祖父にあたる。

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2008年5月5日  HITOSHI TAKANO