新・後輩への手紙(III)

Hitoshi Takano OCT/2010

競技かるたの要諦“十箇条”(解説1)


前略  おまたせしました。それでは、前回お約束の「競技かるたの要諦」 “十箇条”の解説をしましょう。
 今回は、「第一条から第三条まで」といたします。
 まずは、十箇条のおさらいから…

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★ ENGLISH ★

「競技かるたの要諦」

第一条 競技かるたは、対技者との手談と心得るべし。
第二条 読手の呼吸と自己の呼吸の間を体得すべし。
第三条 競技かるたの目的は、対技者より先に自陣札を絶無にすることにある と認識すべし。札を取ることは目的にあらず、手段なり。
第四条 攻撃の重視は札を送る利を求むることと心得るべし。
第五条 定位置は方便と心得るべし。
第六条 競技かるたは、「先の先」のみにあらず「後の先」を忘るべからず。
第七条 目手一体と心得るべし。
第八条 確率論は厳然として存在するものなり。閃きに頼るべからず。
第九条 人は間違えるものなり。決してあきらめるべからず。
第十条 用捨在心を肝に銘ずべし。

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第一条 競技かるたは、対技者との手談と心得るべし。   **English**

 「手談」についての説明は、"The forbidden fruit"(6) などにも書いているので、そちらも読んでもらいたいが、要は、対技者との非言語 的コミニュケーションのことである。 囲碁や将棋なら、一手一手交互に打ったり、指し たりすることで、成り立つ。競技かるたでいえば、手の出し方や送り札、札の配置など で、対戦相手と非言語的に意思を伝え、相手の意思を感じるということである。
 ここで、重要なのは、競技かるたにおいては対戦相手が存在するということである。 読手の発する音と札だけがあり、自分と札と音の世界の中にあって一人で音と札に 無心に向かい合って競技しているのではないのである。
 対戦相手がいるということは、その試合は、対戦相手と自分との共同作業で、競技 かるたの一試合を作り上げているということなのである。
 対戦相手なくして、名勝負、名試合は生まれ得ない。このことを肝に銘じてほしい。
 だからこそ、試合の始まる前と終わったあとに対戦相手に対して礼をするのである。 もちろん、試合を形成する要素としては、読手もいるわけで読手に対しての礼も忘れては ならない。
 このことを意識すれば、「取り」でもめた時なども、礼を失することがないよう対応 できるだろうし、互譲の精神も発揮できることだろう。
 対戦相手の存在を忘れず、対戦相手に対しての、尊敬と感謝の心をもって、協働して ひとつの試合を作り上げるのである。「競技」は「協技」でもある。このことを忘れ ないでいただきたい。

第二条 読手の呼吸と自己の呼吸の間を体得すべし。   **English**

 読手は、4−3−1−5方式で札を読む。当然、競技者は、1秒の間のあとの次の 札の上の句5秒の出だしの音に神経を集中させる。その神経を集中させている瞬間は、 呼吸を止めていることと思う。一方、読手は、前の札の下の句の最後の余韻3秒は、 息を吐き出している。そして間の1秒の間に息を吸って、次の上の句5秒の息にする。
 この読手の呼吸と自分の呼吸の間をどのように取るかが、重要なポイントである。
 読手と吸う息のタイミングがぴたりとあってしまうと、次の上の句の音に神経を 集中するために息を止めるには、少し遅くなってしまうようには感じないだろうか。
 読手によっても、それぞれ微妙に呼吸の癖があることと思うが、そこを自分の呼吸の タイミングをはかるときの間として身につけていくことが神経集中のためには必要 なことである。
 読みテープの練習や、 自動読み上げ機"ありあけ"による練習では、どうしても読手の呼吸までは感じる ことができない。これを身につけるためには、やはり、生の読みによるライブ感覚 によらなければならないと思う。
 人数の制限があり、練習時に生の読みで取れないこともあるかと思うが、できる だけ、生の読みで練習できるよう工夫してほしい。そして、競技者である自分自身が 読みをすることで、この読手と選手の呼吸の間の差異やタイミングについて理解する ヒントを得ることができるのである。
 呼吸は普通は意識しないでしているものであるが、競技かるたにおいては、ぜひ 呼吸について意識してみてほしい。

第三条 競技かるたの目的は、対技者より先に自陣札を絶無にする ことにあると認識すべし。札を取ることは目的にあらず、手段なり。   **English**

 このことは、かるたの本質論(3)を参照して いただければ詳しく書かれているのだが、要点だけを記そう。
 「かるた」というと「札を取る」ことをイメージする人が多い。これは事実である。 実際、お座敷かるたといわれる遊び方やいわゆる犬棒かるたの遊び方では、札をたく さん取った者が勝者となる。すなわち、足し算のゲームである。
 しかし、「競技かるた」の競技規定では「第1条 競技は相対せる二人の間に行い、持 札各25枚とし、早く持札の絶無となりたる者を勝者とする。」と書かれているとおり、 自陣の持札を相対的に相手より早くなくすという引き算のゲームなのである。
 「お手つき」は、相手から札を受け取らなくてはならない。したがって、たくさん 札を取りましたが、たくさんお手つきをしましたでは、非効率きわまりない。 "TOPIC"番外編(第2回)で、お手つきに関する 金言・格言をまとめたが、空札の単独お手つきは一気に二枚差がつき、札を取った だけの場合は一枚差しかつかないのである。
 札を取ることは、あくまで自陣の札を減らすための手段なのである。札を取ろう とするあまりお手つきをしてしまったのでは、元も子もないのである。
 逆に相手のお手つきは、自陣の札を減らす効果的な事象である。目論んで相手に お手つきしてもらうということは、相手にもよるので難しいし、不確定要素だが、 札の送りなどの工夫で、お手つきの可能性が高い場面をつくることは可能である。 そのお手つきしやすい局面で、自分はお手つきせずに札を取れるということも 相手が取れないのであれば、大きなアドバンテージである。
 お手つきをせずに、相手より相対的に早く札をとって、相手よりも早く自陣の 札を絶無にすることが、勝利への道である。
 まずは、目的と手段をきちんと理解して競技にのぞんでいただきたい。

 さて、とりあえず第三条までの解説をしてみましたが、いかがでしたでしょうか。 自分のかるたを見直す材料になれば幸いに思います。
 では、また、次回。
草々


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