前大僧正行尊
もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし
決まり字:モロ(二字決まリ)
子供のころ「坊主めくり」に使っていたのは、田村将軍堂の「練習用」という札であった。
坊主めくりというゲームの性格上、坊主の絵は印象に残っている。坊主の袈裟の色というのが
印象的だったのだ。その中で、目立つ色である赤い袈裟を着ていたのは、この行尊と慈円の二人の大僧正であった。その他、記憶によれば、青い袈裟は、西行と道因、寂蓮、黄色が俊恵、茶は良暹と素性、遍昭、緑が能因と喜撰といった具合である。恵慶の色は思い出せない。緑のような気もするのだが…。橙色の袈裟の坊主がいたようにも思う。それがはたして恵慶であったかどうか。そして、蝉丸の装いは茶系の色で、頭巾を被っていたというのは覚えている。
13枚の坊主札。1枚はあやふやだが、これだけ記憶に残っているというのも不思議なものだ。それも最初に使った札だけである。高校時代に使った任天堂の札の坊主の袈裟の色などは思い出せないのだから。
さて、この歌の作者行尊は、三条源氏である源基平の子。12歳で園城寺に入山。17歳で寺を出て、諸国を遍歴したと
伝えられる。柿本人麿が衣冠をつけて詠吟する夢を見て、絵に描いたという。これが人麿の絵の
最初のものと伝えられる。このような絵によって人麿影供が行われるようになったのだろう。
法験高く、病気を平癒させた話などが多く残っている。81歳で入滅。
この歌は、詞書から大峰山での修行中に詠んだ歌であることがわかる。
山桜よ。おたがいに「あはれ」と思ってくれ。おまえよりほかに知っている人もいないのだから。
山桜を擬人化しているという見方もできるが、もっと人間、植物を越えた生命あるものとしての
共感を詠んだのであろう。仏の道にあるものとしての真骨頂がこの歌にあるのではないだろうか。
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2008年5月1日 HITOSHI TAKANO