素性法師

今来むといひしばかりに長月の
   有明の月を待ち出でつるかな


決まり字:イマコ(三字決まリ)
 このリンクで70首めである。7割完了である。
 作者は、僧正遍昭の子で、良岑玄利と言った。父の良岑宗貞が、仁明天皇の崩御に伴い 出家したのだが、そのときに「法師の子は法師がよい」ということで、出家したと言われる。

 百人一首中の親子関係を以下に列挙してみよう。

天智天皇持統天皇
僧正遍昭−素性法師
文屋康秀文屋朝康
壬生忠岑壬生忠見
平兼盛赤染衛門(?)
三条右大臣中納言朝忠
陽成院元良親王
清原元輔清少納言
大納言公任権中納言定頼
紫式部大弐三位
和泉式部小式部内侍
法性寺入道前関白太政大臣大僧正慈円
大納言経信源俊頼朝臣
源俊頼朝臣−俊恵法師
左京大夫顕輔藤原清輔朝臣
皇太后宮大夫俊成権中納言定家
後鳥羽院順徳院

この17組であると思うが、抜けがあるかもしれない。
赤染衛門のあとの「?」は、赤染衛門の母が平兼盛と別れて赤染時用に嫁いだ時にはすで に身ごもっていたという説を受けたからである。実際のところはよくわからないが、後世 に伝わっているのだから、ありうる話ということで載せておいた。
 源俊頼は、子の立場と親の立場と双方で掲載した。

 さて、素性のこの歌であるが、「今すぐ来るというので待っていたが、なかなか来ない ので、この九月の有明の月がでるような(明け方近い)時間になってしまった。」という 歌意になろうか。
 法師の身であるから、女性の心になぞらえて歌ったのか、女性に対して不犯が大原則の僧侶の間にはあったという男性の恋人を待つ気持ちであったのか、この歌からだけでは、なんともわからない。
 しかし、一夜限りの待ちぼうけというように受け止めるから、このように艶っぽく想像をふくらませてしまう。実は、この歌は一夜の待ちぼうけではなく、春から夏も待ったが、秋の終わりになっても、まだ待っているという解釈もある。長月の有明の月の頃と言えば、9月も下旬と いうことになる。旧暦で言えば、秋もおわるころで、神無月(10月)からは冬である。
 だからこそ、「長月の有明の月」という句が生きてくるのである。有明の月は、陰暦の20日 頃の月で、月が空に残ったまま(在るまま)夜が明けるので、有明の月という。こう考えると、 有明の月は、もっと長い時間軸での意味合いになるであろう。
 はたして、待っていたのは、男か女か、友か恋人か?

 みなさんはどう思いますか?

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2008年4月20日  HITOSHI TAKANO